ごあいさつ

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なぜ、「れもん」や「lemon」ではなく、難しい漢字の「檸檬」なのか。それは、大阪市西区出身の小説家、梶井基次郎(1901-1932)の短編「檸檬」にあやかったからです。

京都で暮らす「不治の病」と闘う学生が、ある日、八百屋の店先に並んだ1個の檸檬と出あう。久しぶりに心洗われた気持ちになり、丸善書店へ。でも、しだいに鬱屈(うっくつ)した気分になってしまう。そこで一計を案じた学生は、「よし、爆弾で鬱屈した気分を吹き飛ばそう」と、檸檬を爆弾に見立てて美術書の上に置き、店を出る……。

そんなストーリーの短編です。アンニュイ(ennui)な青春、健康への不安が、みずみずしい檸檬爆弾によって一掃される、痛快な想いが一瞬、学生の心をよぎる…。主人公の学生への想いに共感するかのように、今でも全国の丸善書店の美術書のコーナーでは、本の上に置かれた檸檬が見つかるそうです。

檸檬は、決して爆発はしない。でも、自分に味方してくれる。何かわかるような気がする、青春時代に置き忘れたものを思い出させてくれる……。アンニュイ(物憂い、倦怠)だけど希望に向かって輝く、輝いていける。そんなところから、漢字にこだわってみました。

さて、福祉や教育についてです。

福祉や教育をめぐる国や自治体の制度は、先人たちの努力によって、大筋で、日進月歩、改善されてきたと思っています。それでも、制度の谷間であえぐ人々がいます。見えない場所で、苦しむ子どもたちがいます。

真の自立は、「自分の力で生きていく」ことだけではなくて「助けてもらえる人をいかに多くつくるかだ」とも言われています。伝えようと想っていても伝えられない、そんな声を大切にするメディアになることを心に刻んでいます。

そして、人と人とをつなぐ、人と社会資源を結ぶ……。そんなソーシャルワークの理念と知識と技術を、だれもが学び、身につけられる社会になればと思います。コロナの時代だからこそ、「つなぐ仕事」が、とても重要です。

この子らに世の光を、ではなくて、この子らを世の光に

知的障害児の教育を行う「近江学園」を創設し、のちに「社会福祉の父」とも呼ばれた、糸賀一雄さん(1914-1968)の言葉に共感します。

檸檬新報舎代表理事、『檸檬新報』編集長
平田篤州