コロナに奪われた甲子園、そしてまた力強く。磐城高校野球部の思い

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衝撃と落胆の日々が、うねるように続いた。

春も夏も甲子園大会中止、そして一度は消えた甲子園行きの切符を手に8月15日、国士舘高校(東京)と交流試合へ……。21世紀枠で今春の選抜甲子園大会に選ばれていた福島県立磐城高校野球部。そして今、新たな希望に向かう球児たち。どんなドラマがあったのか。50年前(1970年春)に卒業した、福島県いわき市の母校を訪ねた。(東京支局長・末永良一)

幕開け

ぽつりと雨が降ってきた。暮れなずむ7月3日夕。高月の丘の木々に囲まれた母校のグラウンドでは、前日から練習を再開したばかりの球児たちの凛々しい顔が、待っていた。
ドラマの幕開けは、2020年1月24日。磐高に吉報が届いた。第92回選抜高校野球大会に、21世紀枠での出場が決まったのだ。春は1974年以来、実に46年ぶりの快挙である。
磐高はこれまで甲子園には春2回、夏7回出場、1971年夏には“小さな大投手”田村隆寿を擁し、準優勝を果たしている。筆者が高校在学中には春夏連続出場があった。夏の全国大会準優勝の時は、東京で浪人中。それでも決勝戦の日は、兵庫県西宮市の甲子園球場にかけつけて応援した。

PLAY・HARD

2015年、磐高野球部OBの木村保氏が監督に就任した。選手たちに「PLAY・HARD〜全力疾走・全力プレー」を掲げ、「どんな状況でも勉強も野球も全力でやり遂げること」を伝え、選手たちもこれに応えて実践してきた。
なかなか手が届かなかったが、2019年の昨秋、19人で戦い、東北大会ベスト8入り。文武両道であること、台風被害のボランティアなどを積極的に行ったことなどが評価され、21世紀枠での出場権を引き寄せた。

木村監督は、吉報が届いた日をこう振り返る。
「地元の方々の応援もあり、悲願がかないました。校長室で、安堵からか涙が出てしまいました。グラウンドで喜ぶ子どもたちの顔を見たらまた涙、恥ずかしながら、この日は泣いてばかりでした」(在京磐高同窓会報などから)。

吉報を聞いて涙し、泣いている監督を見てまた泣いた

選手たちも、吉報を聞いて涙し、泣いている監督を見てまた泣いたという。
「保先生は、それぞれの代ごとに工夫して方針を変え、僕らの代も、意見を聞いて尊重してくれました。自主性を重んじて、良い練習環境を作ってくれたからこその甲子園出場切符。全力プレーで応えます」(沖政宗・投手)
「保先生は、色々なものを犠牲にして、僕らに賭けてきてくれた。涙を見て、やっと恩返しができると思った」(岩間涼星・捕手)
彼ら選手たちは普段から「木村監督」ではなく「保先生」と呼ぶ。木村監督が作りあげてきた、お互いをリスペクトしあう“絆”のあらわれなのだろう。

新型コロナ

じわりと迫ってきたのが新型コロナウイルス。3月4日、「無観客での選抜高校野球大会開催」の発表があった。そして1週間後、選抜としては初めてとなる中止が発表された。
木村監督は言った。
「初めてなので、甲子園の舞台には立ちたかった。ただ、私は自分の年齢(49歳)からも『これも人生だな』と受け入れることはできます。でも、16歳、17歳の子どもたちにとっては、酷で重すぎます。これから全力でこの子どもたちのケアに努めていくことを、まずは考えていました」
木村監督の心配どおり、子どもたちのショックは大きかった。

「みんなで掴んだ甲子園出場だったのに…。悔しくて涙も出なかった。初めての体験でした」(岩間捕手)
「喪失感が大きくて、何も手につかなかった」(沖投手)

岩間捕手(左)と沖投手。いざ、甲子園へ

次に向かおう

木村監督は、落胆する子どもたちを「ケアに努めていく」と公言したとおりに、前向きにさせていった。新たなチーム結成から8か月、チームとしても逞しくなってきているし、人としての成長も感じられるようになっていた。だから、困難を乗り越えて「次(夏)に向かおうぜ」と熱く伝えた。
(この監督のもとで、もう一度夏の甲子園をめざそう!)
部員たちは、みるみる活気を取り戻していった。
「夏に向かって、悔しかった気持ちをぶつけて練習に励むと自分に誓った」
レギュラーではない選手たちも、こう決意していた。
このころ、木村監督の他校への異動が決まっていた。だが、部員たちには知らされていなかった。

夏も中止

5月20日、日本高校野球連盟は感染拡大を受けて8月10日から開催予定の全国甲子園選手権大会(夏)について地方大会も含めて戦後初の中止を決定した。春の選抜大会に引き続いてである。
<春の意地、譲れない夏>
選抜が中止になったあと、新キャプテンになった岩間捕手は、グラウンドの白板に、こう書いていた。夏の甲子園をめざす、3人の女子マネージャーを含む総勢32人の決意。その思いが梅雨入りを待たずに、消え去ってしまった。
コロナに奪われた春夏の甲子園。選手たちは、「奪われた舞台」に、身の震えるような悔しさをかみしめたに違いない。

復活、甲子園へ

6月10日、日本高野連は、春の選抜に選ばれていた32校を夏の甲子園球場に招待し、各校が1試合ずつ行う「2020年甲子園高校野球交流試合」の開催を発表した。
再び、7月3日夕の母校のグラウンドの情景へ。選手たちは、7月中旬から始まる福島県独自の大会をひかえていた。そして、全国交流試合に焦点を当てていた。
今春、監督が代わった。木村監督は、福島県立福島商業高校へ。磐高野球部OBの渡辺純・新監督(38)が着任した。ちなみに吉田強栄校長、後藤浩之野球部長もこの4月からの新任である。
ナイター照明が、点灯し始めた。グラウンドに、選手たちの長い影が伸びる。新監督のもと、充実した練習が続いた。
それから5日後の7月8日、オンラインで行われた交流試合の組み合わせ抽選会。磐高の相手は、東京の国士舘高校と決まった。昨秋の東京大会を制した強豪チームだ。
おりしもの豪雨で、列島には大きな被害が出始めていた。選手たちは言った。
「自分たちは、昨年の台風19号を経て、ここまでくることができた。大変な思いをしている全国のみなさんを勇気づけられるプレーをしたい」

ナイター照明の中でランニングする選手たち(7月3日夕、いわき市平の磐城高校グラウンド)

君たちへ

数奇な展開に、戸惑いも多いだろう。だが、時には人生には、そんな理不尽なことはある。米騒動や戦争などで、夏の大会は中止になった歴史がある。
古希を迎えた先輩として君たちへ。君たちはどうか野球少年としても、一人の高校生としても、今の思いを将来にどう生かすかを考え続けてほしい。プレーで、もたらせなかった本大会の「春」と「夏」を、いつの日か自分自身にそっと手渡せるその日まで……。